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ACTIVITY

EXHIBITION & NARRATION

HASAMIコンプラプロジェクト
新しい世代の「仲買人」が波佐見町の未来を作る。

左から:山口陽介、馬場匡平、松尾栄太郎、前川芳徳

PROFILE

山口陽介
1980年長崎県波佐見町生まれ。高校卒業後、京都の庭師の元で作庭を修行し、ガーデニングを学ぶためイギリスに渡る。帰国後、地元長崎にて植木屋の二代目として造園業を営む。都市緑化機構「緑のデザイン賞」「緑化大賞」(2014〜2016年)、2016年シンガポールガーデンフェステバル「金賞」(2016年)ほか受賞多数。
松尾栄太郎
1977年長崎県波佐見町生まれ。アーティスト。株式会社 江寿 企画デザイン部所属。京都にある美術大学の彫刻科を中退後、版画家(現代美術)故井田照一氏の制作アシスタントを経て現在に至る。
馬場匡平
1985年長崎県波佐見町で陶磁器の企画販売を行う「有限会社マルヒロ」の長男として生まれ、大阪などで働いた後、マルヒロに入社。現在はブランドマネージャーとして、商品企画から外部交渉まで事業を幅広く担う。 http://hasamiyaki.jp
前川芳徳
1958年長崎県波佐見町生まれ。コンプラプロジェクトを担当する波佐見町企画財政課の課長。役場勤務の傍ら先祖伝来の農地を守り、発起人の3人と同世代の息子を持つ親世代でもある。

波佐見の歴史から
ストーリーを紡ぎ出す。

松尾:「HASAMIコンプラプロジェクト(以下、コンプラプロジェクト)」は、波佐見町企画財政課の前担当者だった朝長哲也さんの「アートを絡めて波佐見町を盛り立てたい」という熱い想いから始まりました。僕と山口さんは波佐見出身で、数年前から一緒に波佐見を面白くしたいねと会うたびに話していたところ、朝長さんから相談を受けたのです。波佐見町のことを考える時、まず外せないのは波佐見焼です。江戸時代から大量に焼き物を生産して、波佐見町の経済を支えてきました。馬場さんの「マルヒロ」はもちろん、紙箱で有名になった「岩㟢紙器」だって、最初は波佐見焼のパッケージから始まったんですよ。

山口:その波佐見焼の歴史を象徴する物が「コンプラ瓶」。鎖国の頃、長崎出島で日本の物を海外へ輸出していた仲買人のことを「コンプラ商人」と呼んでいたのですが、彼らが輸出用の醤油や酒を入れるのに使っていたのが、この瓶です。全て波佐見焼で作られていて、白磁の瓶にポルトガル語の当て字で醤油、酒と書かれた素朴な瓶ですが、骨董業界では高値で取引されることもあります。コンプラプロジェクトもこの「コンプラ瓶」のストーリーを取り入れることにしたのです。

松尾:コンプラドールとは、ポルトガル語で仲買人という意味。これをキーワードに、アートと窯業、アートと農業など、異なるものをつなげられないかと思ったのです。僕はアーティストですが、アートは作品の意味や見た目よりも、アート活動によって人のつながりの輪が不特定多数に広がっていくことの方が重要だと考えています。僕らがコンプラドールとなって、地場産業と異業種のコミュニティの輪をつなげて、波佐見発信の新しい価値観や文化を打ち出せないかと考えています。

波佐見町で行われたコンプラプロジェクト成果報告展にてコンプラ瓶

波佐見で暮らす当事者だからこそ、
本気になる。

馬場:松尾さんと山口さんと僕の共通点は、波佐見に家があることと、年齢が近いということ。どこかよそから来た人が「町を盛り上げよう」というのではなくて、波佐見町の未来は、自分たちが生きていくために絶対にどうにかしていかなければいけない問題です。波佐見は焼き物や棚田が有名だけれど、それって日本全国にあるじゃないですか。どうしたら、波佐見町が魅力的な場所になり、若い人たちが集まってくれるか、模索しているところです。

前川:3人は別のジャンルにいるのに、同世代でつながり協働して何かを成し遂げようとしている。少なくとも僕らの世代ではなかった動きです。昔だったら同業者同士はライバル関係で一緒に何かやるなんて考えられなかったし、何かやっても「また若いもんがこんなことして」と上の世代から口出しされて、動きが縛られるようなことがあったかもしれないけれど、そんなこともなく、30代〜40代の世代が今、上手に町を動かしているなという感じがしますね。

馬場:僕が思うに、同世代の人数が減ってきているんだと思います。昔は家を継ぐのが仕事だったけれど、今はみんな外に出て行ってしまいます。同級生で波佐見で窯焼きやっているのは、現状たった二人だけ。30年前はライバルだったかもしれないけれど、自分が儲けるためには、町全体が儲かっていかないと難しいのだとみんな気づいているんです。職人だって昔は10代の頃から働いていましたけれど、今はそうはいかない時代ですから、いかに技術を伝えていくのかという問題もあります。教育の方も考えなければいけない課題です。

日本の棚田百選に選ばれる鬼木棚田

焼き物だけじゃない
波佐見の魅力を作り出す。

松尾:陶磁器と波佐見町は切っても切れないものですが、陶磁器産業の発展だけではなくて、波佐見町全体のことを考えていきたいと思います。焼き物の他にも米がうまいとか、いつも面白いイベントをやっているとか、「波佐見」と聞いて町外の人にどこまで連想してもらえるかが大切。それが「波佐見って面白いよね」ってことに繋がると思うので。

山口:僕は波佐見に生まれてきていながら、実は窯業のことを全く知らなかったのです。庭師として活動するようになってからは、「波佐見って焼き物の町でしょ」と言われるから、知ったかぶりもしなくてはいけなくて(笑)。 焼き物を素材として庭のテイストに取り入れるようになりました。例えば、陶石や焼き物業で産業廃棄物になったものを利用することで、波佐見の庭師としてのアイデンティティを出すことができるのです。環境と焼き物、農業と焼き物など、他の業種の方も応用できるかもしれません。異業種が集まって町おこしすることで、そういうコラボレーションが実現しやすい、繋がりができるのではないでしょうか。

行政との仲買人となり
町の課題を解決する。

松尾:年内に、コンプラプロジェクトの次の形として「金富良舎」という組織の立ち上げを計画しています。行政と民間、地方と都市、日本と世界、過去と未来などをつなぐ現代のコンプラドールとしての役割を実現するための機関です。例えば、何か町の中でトラブルがあった時には「金富良舎」に課題を集めることにします。役場だと「苦情処理」となってしまうような案件でも、僕ら民間が「商売の種」ととらえて、いかに改善するかアイデアを探って行くことができます。

前川:役場の者としては、決まった仕事をきちんとこなしていくことには長けても、思い切ったアイデアを出す、ましてやそれを行動に移すことが難しいのが現状です。役場から少し離れたところから、自由な発想で行動を起こしてくれるところにこのプロジェクトの意義を感じます。役所が主導権を取るよりも、自発的にやろうと考えてくれている人を積極的に応援するのが、今私たちが果たすべき役割なのかもしれません。

山口:これからの課題は「移職住」。子供を産んでくれるような若い人たちに「住みたい」と思って移住してもらうためには、友達と職が必要。住みたいと思ってくれる人に、波佐見の地域性や、気の合いそうな人の紹介などの仲介役に「金富良舎」がなれればいいと思っています。お店を作るにしても、バラバラではなく皆で計画して、商店街を生み出していく必要があると思います。温泉や西の原は観光で来る人の目にとまる場所ですが、「金富良舎」は、昔は宿場町で酒蔵や昔の郵便局、銀行などの建物あって、今も僅かですが昔の街並みが残っている「宿郷」という地域に拠点を作りたいと思っています。そして、住む場所も、空き家はたくさんあるのに活かされていないという問題をどうにかしていかなければいけません。まずは、棚田の耕作放棄地を利用して作った菖蒲園のある川内郷に人口を10人増やすことを目標にしたいですね。

波佐見町の若手事業者により立ち上げが計画されている「金富良舎」
多くの窯元が残る陶郷「中尾山」の坂道にて

ライター:木藪 愛